心理コラム

相手に求める理想の結果は、結果的に手に入らない

こんにちは。
心理セラピストのりお(@rio10Xu)です。

最近、一つ大きな気付きがあったので、
今回の記事でシェアしていきたいと思います。

どんな気付きであったかというと
それは題して、

“相手に求める理想の結果は、結果的に手に入らない”

という気付きです。

頭では、そりゃ当たり前でしょー、と自分自身思ってはいたんですが、腑に落ちた感覚があったので改めて。

(事例でも出しますが、なぜお金を持つ人はお金に執着せず、お金を持たない人程お金に執着するのかなという疑問から始まりました。「お金持ちは、お金を持っているからお金に執着しないんでしょ」という話しじゃないなと思いまして。)

もし興味があれば読み進めて頂ければと思います♪

相手の意思決定は自分のものではない

誰しもが、夢を描いたり、理想をイメージしたり、
近い将来、遠い未来には、「こうなったらいいな、こうなるように頑張ろう」と思うことがありますよね。

そこに向かって日々試行錯誤して努力して失敗して改善して、少しずつ少しずつ自分の理想や夢、目標に向かって成長し、近づいていくと思うんです。

朝、目が覚めたら、いきなり理想通りの結果を手にしていた、なんてことは先ずないわけですから、行動を起こして小さく日々積み上げていきます。

ただ、そのような中で、

その夢や理想、目標の中に”他者”が存在する場合において、

求める理想の結果に執着すればする程空回りして、全く得られない、若しくは得られてもそれは程々であり、求めていた程度とは差異が生じるな、と思いました。

自分の私利私欲の為に、相手に求めるが故に、得ようと努力したところで、結果的に得られない、なんてことは往々にしてあります。

それは何故か。

その意思決定権は当然、自分ではなく、相手にあるからです。

相手が自分が求めている結果を渡すか否かの決定権は、自分にはないということです。

わかりやすいように、具体例を2つほど挙げてみようと思います。

「お金を得たい」の例

先ず一つ目は、これ。

「お金を得たい。今以上にもっともっと得たい。」

という理想。

お金を得る、もっともっと得ることに執着していると、逆に得られなかったり、程々で留まってしまったりすることがよくあります。

お金を得る為にはどんなことが必要なのかというと、ビジネスの構造上基本的には自分の価値を相手に提供し、その対価としてお金を頂くということになります。

会社員の方であれば、自分の時間と労働力が、働いている会社にとって”価値”と思われて、その対価として給与を受け取り、

経営者であれば、自社や自分のサービスをお客様から”価値”と思われ、その対価として報酬を受け取るわけですが、

要は、どちらにせよ、相手に自分の価値を認めてもらって初めて、お金というものを手にするわけです。

となれば、相手にどれだけ自分の価値を認めてもらい与えるかが、お金を得るための”手段”になります。

その手段を必死に考えて考えて、得られるお金を増やそうと努力します。

確かに、その努力はとても大切なことではあるんですが、自分の価値を”価値がある”と決めるのは誰かと言うと、それは他ならぬ相手なわけで、どうしたって価値があると思ってくれない相手も存在してしまいます。

そのような中で、お金を得たいという欲求やお金を得た理想の自分に執着してしまうとどうなるのかというと、相手に自分の価値を認めてもらおうと、相手をコントロールする行動に移ってしまいがちです。

勿論、ビジネスの世界においては、心に響くようなキャッチコピーを用いたりとか、気を引く為に斬新なプロモーションをしたりなど、あの手この手と施策をする必要はありますが、

相手をコントロールして、その結果としてお金を得ようと、そこに執着してしまうと、それは残念ながら結果的に得られなくなってしまいます。若しくは程々であったり、一時だけ得られて長くは続かなかったり。

なぜならば、先ず考え方の前提が、
「相手を利用して自分の私利私欲を満たす」だからです。

爽やかで、話も上手くて、サービス説明が素晴らしく、とても魅力的な営業職の人であっても、この人が全く自分の求めるニーズに寄り添ってくれなかったり、質問無くして「あなたにとって最高のサービスですよ!」と言われ、「この人はお金や契約を得たいだけやな・・・」という裏側の心理が垣間みえた時、

例えそれが本当に良いサービスであったとしても、
あなたはこの人からサービスを購入したいと思うでしょうか?

それよりも、自分のニーズをしっかりとヒアリングしてくれて、自分の気持ちに寄り添ってくれるような営業職の人から買いたいと思うのではないでしょうか?

そういう人でも、お金を得る為に働いている側面も勿論あるでしょうけれども、それよりも一生懸命にお客である自分に向き合ってくれる人、不器用だとしても自分の気持ちを理解しようとしてくれる人に、「この人から買いたい」とか、「この人になら契約しても良いかな」とか、あなたもそう感じるんじゃないかなと。

また、自分の仕事に誇りを持っていたり、仕事を全力で楽しんでやりがいを感じていたり、そういった姿勢に人は心動かされると私は思います。

その結果として、そういった人たちはお金をある意味、”自然と”得ているのだということに気付いたんです。

私の周りの経営者でも、やっぱりお金を多く持っている人って、お金を得ることに執着していません。

それはお金があるから執着していない、という視点でみることは勿論できますが、彼らの起業ストーリーを聞いてみると、

「辛い起業当初も、自分が何よりもやりがいを感じられる仕事だったから続けてたらこうなった。」
「純粋に仕事が楽しい。そして、目の前の一人一人のクライアントに一生懸命に対応してきた。」

こういった話しが不思議なくらい共通しているんですよね。

お金があろうがなからろうが、彼らの前提って、「相手を利用して自分の私利私欲を満たす」ではなかったんです。

仕事をしていて、自分がやりがいや楽しさを感じているとか(相手を利用していないで、自分を満たしている。)、お金以上にお客さんの気持ちに重きを置いていました。

だからこそ、結果的に大きな富を得たんじゃないかと考察しています。

お金を求めている人の方が結果的にお金を手にできないって、なんとも逆説的で不思議な現象ではありますが、

相手を変え、相手からもらうことに執着して考えるのではなく、自分主体でどうしていきたいのかという前提が意識的にでも無意識的にでも、あったからこそ、ただそこに”お金”という副産物が生まれただけなんだなと。

「人に認めてもらいたい」の例

それではもう一つ。

これは相手が存在するという意味でとてもわかりやすいですが、

「人気者になりたい。尊敬されたい。理解されたい。愛されたい。」

などの理想です。

例えば、一つイメージしてもらいたいのですが、誰か一人、本当に尊敬されていたり、人気があったり、信頼されている人を思い浮かべてみてください。

若しくは、あなた自身が尊敬している人でも良いです。

ここで質問ですが、その人は、その人自身が人から、あなたから「他者から尊敬されたい」ということが目的で、それを叶える為に人は、あなたは、その人を尊敬しているでしょうか。

言い方を変えるならば、その人の「他者から尊敬されたい」という思いや、「尊敬されたいと思ったが故に起こしている行動」に対して、あなたは尊敬をしたのでしょうか。

おそらく多くの人の答えは「No」だと思います。

つまり、人からの尊敬を得ようとしてその人は尊敬を得たのではなく、これも先ほどのお金の話と同じで、”結果の副産物”として尊敬を得られているわけですよね。

私が尊敬する人の話をするならば、勿論その人の真意の全部を理解しているわけではありませんが、その人は何よりも人に対して全力です。

自分の軸を持ちながら、自然と人に興味を持ち、自然と質問を投げかけ、相手の気持ちを理解しようと、寄り添おうというスタンスに、私には見えるんです。

そこに、「相手に興味をもたなきゃ、気持ちを理解しなきゃ、寄り添わなきゃ」といったような、無理やりそうしようとしている感じは全く伝わってきません。あくまで、やはり自然体としてなんですよね。

当然、「尊敬されたいから、人に認められたいから、信じてもらいたいから」という目的もその人からは全く感じません。

そして、そういった人の周りには何故か、信頼を寄せている人がたくさんいたりするんです。
本人はそれに執着していないのにも関わらず。

一見、執着する程の思いがあるからこそ手に入れられそうですが、

執着して、手に入れよう、手に入れようって、すればするほど、逆に人は離れていったりしてしまいます。

”自然に”ということは当然その人自身何か無理をしていたりとか息苦しさを感じていたりとかないわけで、目の前の関わる一人一人を自然と大切にでき、自然と人付き合いに対して全力なんです。

「自然と全力」って言葉としてなんか矛盾している気もしますが、私のイメージからすると本当に、自然と全力という感じがしっくりきています。笑

尊敬されるとか、人気者になれるとか、
理解されるとか、愛されるとかもそうですけど、

これらって結局のところ、意思決定権は相手が持ち、相手次第の話なんです。相手の自然的に湧き出る感情とも言えるでしょう。

いくら高度な心理テクニックを使ったって、相手にそう思わせようと上手く仕掛けたって、そこに相手に求める結果が手に入れられるかと言うとそんなことはないのです。

仮に手に入れたところで、
それは果たして長続きするのでしょうか?

そう思わせる為には、ずっとずっと偽りの自分を作り続け、相手をコントロールする為に頑張り続けなければならなくなりませんか?

本来の自分を殺し、偽りの絆で人間関係を結ぶ人生は、果たして”幸せ”と言えるのでしょうか。

自分の私利私欲の為に相手をコントロールし、やっとの思いをしてそれを手にしたとしても、それは果たして”真か”、ということです。

相手を変えることはできない

以上二つの事例を挙げてみましたが、相手に求める事を否定しているわけではないです。

あくまで、相手に執着しすぎることにアラート、といった感じです。

私だって、まだまだ相手に執着してしまう自分が内在し、ケースバイケースで私利私欲の為に相手をコントロールしようと無意識的にやってしまっていることも振り返れば幾度もあります。

ただ、ここでそれに気付いた時に、
自分は本当はどうしたいのか?という視点を持ち、しっかりと自分に向き合うようにしています。

自分と向き合う中で、
相手をコントロールする生き方が本当に良ければ、それも一つの選択でしょうし、そんな生き方は嫌だと思うのであれば、この生き方を手放していく方向にベクトルを向けていくのも一つの選択です。

そこに是非はなく、”自分はどう生きたいか”だけしかありません。

それを決めるのは、あなたの親でも、友人でも、パートナーでも、上司でも、かかりつけのセラピストでもありません。

なぜなら、あなたの人生はあなたのものですから。

その決定をすることこそが、一つの”精神的自立”であると私は思っています。

私自身もリトリーブサイコセラピーに出会って、早く一人前のセラピストになって、悩み深いたくさんのクライアントの力になり、活躍していきたいと最初のうちは思って意気込んでいました。

でもその裏にあった自分の真意は、人から必要とされる自分になり自分を満たしたい、人から必要とされる自分には価値を感じられる、たくさんの人を救った自分はすごい、などという思いでした。

お金目的はなかったにせよ、こう考えると自分の私利私欲を満たす為に、クライアント(相手)を利用していたわけですよね。

最初の方は、「そんなことはないし、仮にそうだったとしてもクライアントが解決すれば問題ないのではないか」と思っていた自分もいましたが、

解決どころか、やっぱりセッションは空回りするし、なかなか上手くいかずに、ましてや受け入れたくない貴重なご指摘もクライアントから頂いたこともありました。

日常生活の中で、クライアントとしてではなく、友人とかからよく相談を受けることがあり、そういう時は、自然と全力にその人に向き合うことができる事も多いのですが、

いざクライアントを目の前にセッションとなると、必要とされる自分とか成功できる自分とか、逆に失敗しないようにうまくやり切ろうみたいな感覚がどこかにあって、クライアントに意識が向いているようで自分ばかりに意識が向きがちでした。

そう思うと、「普段から自分って、相手に執着する事が人生の前提でもあったな」と気付けました。

話の流れでセラピスト側の話になり恐縮ですが、リトリーブサイコセラピーは、よくセラピストの生き方そのものが出ると言われています。

実際に私もリトリーブを始めてからそれは痛いほど実感してきました。

普段から人を信じられなければ、クライアントの精神的自立も信じられないし、人からの否定や批判に過度に敏感であれば、クライアントの否定的な言葉にも反応し、怒らせないようにとか、自分が嫌われないようにとか思ってしまい、全然深掘りできなかったり。

普段から、自然と相手に興味が湧いてこなければ、クライアントにも興味は湧かずに質問も浮かびにくくなってきてしまいます。

自分の感情感覚を感じないようにしていて、感じることの恐怖があれば、クライアントの感情を取り扱うことは困難にもなるでしょう。

共感だってそうです。そもそも人に共感できなかったり(共感って何?状態)、意識的に共感しようしようと前のめりになっても、それが逆に違和感となりクライアントに伝わります。

「そんなのテクニックでカバーできんじゃないの?」

と思うかもしれませんが、テクニックでカバーできる範囲には限界があります。

それに、やっぱり気付いてしまうんですが、この人は自分に本当に向き合ってくれているのかとか、興味を持って話を深掘りしてくれているのかとか、私の力を信じてくれているのかとか。

こういう感じとる感覚って、テクニック云々でカバーできるかといったら不可能に近いと思っています。

そんな中でも、逆に自分の私利私欲の為に見返りを求めるのではなく、一生懸命に全力でクライアントに向き合う姿勢も、クライアントには伝わります。

セッションの時だけ人と全力で向き合う、というのは器用な人であればもしかしたらできるのかもしれませんが、やはり普段から人に対して向き合うことに自然と全力でないとなかなか難しい部分もあります。

そして、人に向き合うということは、自分に向き合うということであり、
自分に向き合い、自分の中に安心感や自己信頼があるからこそ、人を信じられたり、しっかりと人と向き合うことができるのです。

まとめ

話が長くなってしまいましたが、改めて今回の結論はこれです。

“相手に求める理想の結果は、結果的に手に入らない”

補足するならば、今自分が目の前にしていることに対して全力に、且つ、相手に求めてばかりではなく、自分で自分を癒し満たしていくことが大切です。

時に相手に、こうして欲しいとお願いしたり相談したりすることは大切ですし、人は支え合って生きていくものですが、そこに執着しすぎてしまうと人間関係が拗れやすくなり、求める理想の結果はかけ離れ、自分の中にストレスが溜まりやすくなっていきます。(なんで私のことをわかってくれないんだー。とかですね。)

肝心なことは、やはり、「自分はどう生きていきたいか?」に帰結するので、
もしあなたが何か当てはまる事があり悩んでいるようであれば、自分に問いかけるところから先ずはスタートしてみてくださいね。

ではでは!