心理コラム

理想像に執着すると人生生き辛くなる

こんにちは。
心理セラピスト/心理研究家のRio(@rio10Xu)です。

新年明けてからもう半月程が経過しようとしています。あっという間ですね。

ジャネーの法則というものがありますが、歳を重ねるほど時間は短く感じるそうで、実体験としてもその感覚はあります。

前置きはさておき、今回はこんなお話し。
「理想像に執着すると人生生き辛くなる」というものです。

誰しもが理想像ってあると思うんです。

ああなりたい、こうなりたい、こうだったらいいな、って、未来の自分や取り巻く環境を理想像として思い描く。

それ自体は全然不思議なことではないし、理想を描いてこそ、人だよね。って私自身も思います。

ただ、その理想像に執着してしまうと人生が空回りし始めます。

理想像の裏に潜む自己否定

理想に執着するということは、裏を返せば自分自身に自己否定があるということではないでしょうか。

例えば、

・お金持ちになりたい
→お金を持っていない自分は受け入れらない

・美しくなりたい
→美しくない自分は受け入れらない

・人から愛されたい
→愛されない自分は受け入れらない

などなど。
小さいものから大きものまで人それぞれあると思います。

今の自分が嫌だからこそ、理想像に執着して、未来ばかりに目を向ける。自己否定を繰り返し、未来に期待する。

つまり、「今」を生きていない状態。

その執着した理想像って、

仮に思い描く理想像にたどり着けたとして、それっていつまでも満足できるものなんでしょうか。

また新たに別の理想像が現れ、自己否定してしまう可能性はない、と言えるのでしょうか。

そして、一旦手に入れたその理想像が永久不変に成り立つ保証はどこにあり、理想像からかけ離れてしまう可能性はない、と言えるのでしょうか。

そもそも、理想像に執着して追い求めていた人は、その理想像に辿り着くことはできたのでしょうか。

理想像ばかりを追い求め、常に自己否定をし続けて、幸せや満足、充実を感じることのない人生は辛くないですか?

他人事のように書いているようで、実はこれ、私自身もやっていました。

常に、一年後とか五年後のことばかり考えていて、その頃になれば理想の自分になれるんだ、って本気で思っていました。

もちろん、行動を起こさずそうなれるとは思ってはいなかったので、行動を起こしながらやっていましたが、結果的に手に入れた理想像は何一つありませんでした。

日々の満足感や充実感、幸せな感覚なんてありませんでした。

「ああ、理想なんて、本当にただの”理想”でしかないのかな。」って希望が閉ざされた感覚でした。

だから、生きている心地や、自分がここにいる、という感覚が全くなかったんです。

「今」を生きる

理想像を持つことは悪いことではありません。
誰だって、夢を思い描くし、より良くなりたいという欲求はありますから。

ただ、そこに執着しすぎて、「今」を見失っては、「幸せ」からかけ離れてしまうのでは?という主張です。

つい先日、私の母方の祖父が亡くなりました。90歳で人生に幕を下ろしました。

数年前から認知症の発症や、足の不自由が際立ち、最終的には食事もできなくなってしまいました。

でも、そんな状態であろうと、病院生活での不自由を被ろうと、「毎日』を、「今」を、一生懸命に生きていたんだなあ。って、亡くなった今、振り返ると思います。

人生は日々の積み重ねです。

今日の自分が明日を作り、未来の自分を作ります。

そう考えると、私たちが生きる「今日」、「今」というものの重要性が垣間見えてきます。

「今」を生きていない状態で進むと、理想像は逆にかけ離れていく感覚さえあります。実は何も積み重なっていない気もしてきます。

毎日の喜怒哀楽を大切にし、少しずつ成長していき、その積み重ねの結果に、思い描いた理想像がある。

今日、この今の、自分の時間や人との時間を大切にした結果の副産物として、理想像があるのではないでしょうか。

私はそう思うようになりました。

「今」を精一杯に生きることが、人の幸せを作る。そう信じています。