心理コラム

自分の欲求を殺す役割の人生

こんにちは。
心理セラピストのShuntaro(@HeartyCure)です。

「なんとなく息苦しさがいつもある。」
「自分が本当に望んでいる人生な気がしない。」
「いつも不運で損なことばかりが身に起こる。」
「自分という存在がわからない。」
「何をしていても面白くないし楽しくない。」
「そもそも何をしたいのかもわからない。」

あなたは、こんなようなことを思ったことはありませんか?

漠然とした不安感が常に付き纏い、なんだか生きている心地がしないという感覚があり、生きることがめんどうくさい。

それは、自分の人生を生きているのではなく、誰かの為の「役割」を担っている人生かもしれません。

役割の人生とはどんな人生か

「役割の人生」という言葉。

もしかしたら、耳にしたことがあるかもしれません。

会社や組織の中で、「あなたは〜〜の役割をお願いね。」なんて任された経験はあるかと思いますが、その役割とはちょいと違います。

会社や組織の中での役割は、あくまでその会社や組織の「中のみ」での役割であって、お金を頂く以上、自分のお仕事として責任を持ち、その役割を全うしますよね。それは、会社や組織の中では至って普通のことです。

その中で、自分の気持ちを前面に押し出し、「これはやりたくなーい。めんどくさーい。誰かやってー。」なんてことをしていたら、そもそも仕事が成り立ちませんよね。なので、役割は非常に大切な考え方です。

一方で、「役割の人生」というのは、その名の通り、人生自体が「役割」となってしまっている状態です。

本来、人生は自分のものであり、自分が自由に意思を持ち、選択し判断し決断するものです。自分の頭で考え、自分の感情を大切に、責任を持ちながら、自分の進みたいと思う道へ歩むものです。

そんな自分の人生が、なぜか自分の為ではなく、自分以外の「誰か」の人生を歩んでしまっているのが、「役割の人生」と言えます。人生の一部分ではなく、人生まるまる役割と化している状態です。

自分の人生を生きているのか、誰かの人生を生きているのか、役割の人生を生きいている人はその状態に気付いていることが少ないです。

冒頭でいくつか挙げたような感情や感覚が、自分の心の中に漠然と湧き上がってきているケースが多いですね。

役割の人生を生きていると、いずれ「生きる」ということに疑問が湧いてくる時がきます。若しくは、人生の幕を閉じるその瞬間まで疑問が湧かないこともありますが、ただ、人生の充実感や満足感、達成感などを心の底から感じることはないのです。一瞬一瞬、その時その時で感じる場面はあるにせよ、その幸せな感覚に持続性はなく、薄く脆く、あるようで実はないんですね。

「役割」ということは、自分以外の誰かの為に自分の人生を費やしている状態です。

誰かの期待に応える為に一生懸命に頑張り続ける人もいれば、誰かを救う為に自己犠牲までして手を差し伸べようとする人もいたり、いつもいつも愚痴の聞き役をやっている人もいれば、喜ばせようと必死に人の様子を伺い続ける人もいます。

心の奥底には、自分の欲求や願望があるのにもかかわらず、それをないものにして、誰かの為の人生を生きる。

それはそれは、一見美徳のように思えるかもしれませんが、当人にとっては非常に苦しい人生ですよね。

役割の人生を歩んでいる人は、本当に多いというのが私の印象です。

なぜ役割の人生を歩んでしまうのか

ではなぜ、自分の人生を歩めば良いのに、役割の人生を歩んでしまうのか。

それは、幼少期の親子関係の中に大きなヒントが眠っています。

小さな小さな子どもにとって、親というのは絶対的な存在であり、命を守ってくれる存在です。

衣食住のお世話をしてもらい、たくさんの愛情を受けて少しずつ成長していきますよね。そして本来それは、「無条件に」与えられるべきものです。

小さな子どもは当然、自立する能力がない為、お母さんお父さんに依存するのが普通ですが、その依存を「条件付き」で与えられていた子どもは、役割の人生を歩む選択を無意識にしてしまう傾向があるんです。

条件付きというのは、「お母さんのお手伝いをしたら、このお家にいていいよ。」とか、「手間をかけず良い子にしていたら構ってあげるよ。」とか、ありのままの子どもの姿や気持ちに、親の気持ちを被せて優先し、衣食住や愛情と引き換えに子どもを縛ってしまうことです。

そうなると当然、子どもは親に従うしか生き残る方法はありません。そして、子どもはどんな親であろうと求める気持ちが根底にはあります。つまり、親からの愛情を求めた振る舞いや行動をするようになります。

否応無しに親の条件を飲み込んでしまうわけですから、その中で自分の欲求を出したり、わがままを言ったりすることは叶いません。興味があることもやりたいことも欲しいものも、我慢するしかないというような状態になりがちです。

このような親子関係の環境で育った子どもが、ではいざ成人し、年齢的には自立し社会に身を置いた時に、自分の欲求ややりたいことを軸に生きることができかというとどうでしょうか。

今までやってこなかった人生の歩み方を、年齢を重ねたからといってできるわけではありません。その親子関係の在り方が、今周りの人間関係に「投影」という形で表れ、親子関係と同じ行動パターンをしているのです。

ここでは話きれないほど、役割の人生を歩んでしまう背景として、親子関係のケースは細かくたくさんありますが、役割の人生を歩んでいるその原因に、幼少期の親子関係が少なからず影響しているということを知っておいて頂ければ幸いです。

役割を抜け出す為にできることとは

役割の人生を歩んでいる人は、もう自分の生きたいような人生は歩めないのかというと、そんなことはありません。

もちろん、今まで生きてきた生き方をそう簡単に180度変えることは容易ではありませんが、自分と向き合うことによって、自分の人生を生きることはできるんです。

役割の人生を歩んでいる人は多くの場合、自分の人生を生きること=「死」、を意味します。

なぜか。

先ほどの衣食住や愛情の話をした通り、条件付きの家庭で育ったが故に、その条件から外れることは、絶対的な存在である親の意向に背くことであり、そうなってしまうと衣食住も愛情も与えられないというところに、脳内で方程式として成り立ってしまっているからです。

親に押し付けられていた条件が脳内に焼きついており、その条件を満たすような生き方をしがちです。無条件で求めることが許されなかった思いは心の奥底に残り続け、その思いを満たそうとするが故に条件を飲み込んだまま成人し、その価値観の通りに人生を歩んでいるのです。

「死」を意味するということはつまり、その条件から外れることは非常に大きな大きな恐怖です。

自分の人生を歩む為には、その恐怖としっかりと向き合わなければなりません。その恐怖を乗り越え、自分の人生を歩みたいと心の底から決意できた時に、役割の人生を降りることができます。

ここはかなりヘビーな転換となる為、何ヶ月というより数年は要するケースが多いです。

今回のトピックはもう少し具体的に話を展開したいので、今後別記事にてまた詳しく説明できればと思います。

ではでは!

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