心理コラム

上手くいかない時こそ感覚を研ぎ澄ますというお話し。

こんにちは。
心理セラピストのりお(@rio10Xu)です。

「学んでいるはずなのに・・・。」
「重要なことは理解しているはずなのに・・・。」
「理屈やからくりは把握しているのに・・・。」

いくら知識を詰め込んだとしても、その知識を活かす実践の場において自分の思うような結果が出ないことはありませんか?

よく言われることとして、
知識を吸収しただけでは、実践した際の”感覚”がわからない為、結果的に上手く行かないという話ががありますよね。

確かにそれは私もそうだと思います。

本で誰よりも自転車の乗り方を学んでいる人と、実際に自転車に乗って、たくさん転んで、何度も繰り返し練習している人では、結果的に自転車に乗ることができるのは、練習を積み重ねた人です。

上手な絵の書き方をYouTubeでひたすら勉強したって、毎日毎日実際に手を動かして絵を書く練習をしている人の方が、絵を書くスキルの上達に雲泥の差が出ることでしょう。

それは、頭の中で知識が完結し滞っておらず、その知識が感覚に昇華され、身体で覚える状態になっているからです。

身体で覚えるということは感覚を掴む、腑に落とす、ということであり、知識頼りに偏っていない状態とも言えるでしょう。

そうなると、自転車に乗る時にわざわざ一つ一つ頭の中の知識を引っ張り出して、確認して、実行する、という手順が自然とカットされます。

自転車に乗る感覚を掴んでいる人は、
最初にサドルに跨いで、右足を先にペダルに乗せて、次に左足を乗せて、走り出したこのあたりのタイミングで、バランスが取れてくるなどと、一つ一つ考えていないはずです。

感覚に昇華された知識が、自然と働いた結果として、物事が上手くいっている状態となっています。

当然ながら、いきなり知識0の状態で実践をしても、何も手がつかず形にならないことはあるので、やはり知識の吸収ももちろん大切ですよね。

その上で、次に感覚に昇華させるために、実践を行い、改善をし、また知識を吸収して、実践する、というその繰り返しが、物事の上達の基本かと思っています。

①インプット(知識の吸収)
②アウトプット(実践)
③フィードバック(改善)

この①〜③をひたすら繰り返す。
それが上達への近道であると私も考えています。

でもなぜか、この①〜③を行っているのにも関わらず、方向性も合っているはずなのに、上手くいかないと感じる人はどうでしょうか。

知識もたくさんつけた、実践も行ってきた、何がダメであったかをフィードバックし改善してきた。でも、でも、なぜか上手くいかない・・・。

そんな状態に陥っている人に向けて、以下、本題を話したいと思います。

感覚の受容体と柔軟性

何故うまく行かないのか。

結論から述べてしまえば、それは、”感覚の受容体”が封印され、”感覚の柔軟性”が欠如している、という考えがあります。

感覚の受容体とは、知識が感覚へと昇華される為の土台のようなイメージで、感覚が定着する為の入れ物のようなものです。

水を注ぐには、その水を受け入れるグラスが必要であり、グラスがなければ水は一向に溜まりませんよね。

それと同様で、知識をつけて実践し、感覚をその時は感じたとしても、その感覚がなかなか腑に落ちないような形でぐるぐるし、いまいちピンとこないモヤッとした状態ですね。

(ちょいとイメージしにくいですかね?笑)

感覚の受容体という、感覚が腑に落ちる為の受け皿が機能せずに封印されてしまい、なかなか身体で覚える状態に昇華せずに、結局うまく行かないような結果になってしまいます。

そして、感覚の柔軟性とは、感覚の受容体が機能してこそ、実践したことが腑に落ちて感覚に昇華され、定着する柔らかさと言えます。

感覚の受容体が機能していないからこそ、感覚の柔軟性が欠如し、ものにならない。

一方で、感覚の受容体が機能しているからこそ、感覚が研ぎ澄まされ、実践して感じたそのリアルな感覚が柔軟的に定着する、といったイメージです。

つまり、この両者が機能していなく、自分の感覚が鈍っている状態で実践を重ねても、結局それはあまり効果的に身にならず、ただ単に流れてしまっているような状態に陥ってしまうことはあると思います。

「実践こそ大切」とはよく言いますが、自分の感覚が不確かで、感じることの鈍さがあれば、実践したところで「ざるに水」状態に陥りかねません。

一年前くらいから、私はダーツにハマりましたが、正直ながら未だに、自分のダーツの投げ方が腑に落ちていません。

投げ方の理屈は理解していますし、何度も何度も投げ方を変えて自分に一番フィットする投げ方を研究してきました。

友人にもフィードバックをもらったりして、それを実践してきましたが、何故か未だに投げ方が定着しない。

そうなると、知識を増やしても、場数を増やして練習を繰り返しても、そこで改善をして、また実践しても、得られるものより、流れていくものの方が多く、上達が一向に見えないんです。

感覚の受容体が機能していないからこそ、感覚の垂れ流し状態というような感じです。

もちろん、この感覚の受容体や柔軟性だけの話ではなく、単に知識や実践不足という原因も少なかずあるかとは思いますが、今私が着眼しているのは、「自分の不確かな感覚」に大きな原因があると思っています。

どのように感覚を磨いていくか

まだ、実践中の身ですので、確かなことはズバっと言えるわけではないのですが、今は自分の不確かな感覚を研ぎ澄ます為のアクションを日々行うようにしています。

主に何をしているのかというと、

“瞑想” です。

自分が日々生きている中で感じる、身体に伝わってくる感覚を、取り戻す為に、研ぎ澄ます為に、瞑想を行なっています。

以前もちょこちょこやってはいたのですが、瞑想ってそんなに大事なのか?という疑念がどこかであり、あまり重要視していなかったんですが、2周くらい回って、今度は本格的に継続的に行っていこうと思いました。

瞑想のやり方の一例として、
自分の呼吸に意識を向けて呼吸自体を感じてみたり、歩いているときには自分の足が地に着いている感覚を感じてみたり、食事の時にはその食べ物の味や食感を感じてみたり。

普段はどうしても自分の外側に意識が向きがちで、自分の感情や感覚に意識を向けることってほぼありませんでしたが、外側から自分の内側に意識を向けて、「感じる」ということをしています。

そうすると、今まで何事もなく流れていってしまっていた自分の感覚が、実はこんなにも感じていたということに気付いてくるんです。

まだまだ研ぎ澄まされているわけではないかもしれませんが、感じる事をこれからも日々繰り返し行い、感覚の受容体を機能させ、感覚の柔軟性を発揮していきたいなと思っています。

感覚の土台が出来上がってきたその先に、先程の①〜③のアクションを行うことで、より腑に落ちやすく、定着しやすくなると考えています。

特に、感情感覚を扱う心理カウンセラー、セラピストや、スポーツを行う人、アートを専門職としている人、その他感覚を大切にしたクリエイティブなことをする人にとっては、とても大切なことであると個人的には思っています。

自分の感覚が不確かであると、そもそも腑に落ちるとか、感覚が定着するとか、なかなか理解しにくいと思うので、
瞑想を繰り返し繰り返し行なっていき、今後どうなるのかを検証していきたいですね。

今回は少し抽象的な話し且つ検証段階での話しでしたので、説得力には欠けましたが、是非あなたもトライしてみてはいかがでしょうか。

ではでは!

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